「王道」のアップデート〜初心LOVEと、回答例としての『消えた初恋』
初めて自力でチケットをとって入った現場が嵐の『Time~コトバノチカラ~』だったことは関係あるかないかわかりませんが、私は「コトバノチカラ」が大好きなバリバリド文系で、楽曲で最重要視することは歌詞!!というタイプのオタクです。
だから、『初心LOVE』を受け取ってすぐ、止めた車のカーステレオにCDを押し込むと同時に歌詞カードを開いて、読みながら聞きました。西畑さんの歌い出しが聞こえた瞬間に涙が溢れてしまったので、視界がにじんであんまり歌詞は見えなかったですけど。
ジャニーズに限った話ではありませんが、ひとが歌詞を読む時、
・「回答例」としての、映像作品
特に『花男』シリーズの作品以降はその流れが強いように(何のソースもないですが)いちオタクとしては感じています。街頭インタビューで『WISH』を流して、この曲を聴いてどんな映像が思い浮かびますか、って聞いたら、多分トップ3には『牧野と道明寺』が入るんじゃないかな?*1
「君に似合いの男になるまでこの僕に振り向いてはくれないみたい 手厳しい君さ」に牧野と道明寺を重ね合わせること。日本とニューヨークの遠距離恋愛中の2人に対して「どこにいても君をここに感じてる(Love so sweet)」と歌うこと。そしてその延長線上に、近年のジャニーズ事務所が繰り出した最強楽曲の一つ、『シンデレラガール』も位置するわけで。
ただ、例えば現代文の問題集でも、解答集に「回答例」が載っているじゃないですか。問題提供側からオフィシャルに「こう解釈したよ!!」と提供されるもの。私の個人的な意見ですが、楽曲が映像作品の主題歌になるとき、映像作品はその主題歌を解釈したときの「回答例」みたいなものだと思っています。記述問題の解答例というよりは、小論文試験の回答例、に近いでしょうか。別に、回答例と違うものがマチガイになるわけではないので。
・クィア・リーディングについて
話は変わりますが、「クィア・リーディング」という言葉を耳にしたことはありますでしょうか。数年前にこの記事がすごく話題になっていたので、あ、この件ね、と思う方もいるかもしれません。
クィア・リーディングとは、ごく単純化していえば、「女性は男性を、男性は女性を」という異性愛の枠内に収まらない性愛のありかたに注目する作品読解の方法である。(中略)異性愛という強力なコードに支配されたわたしたちの認識は、たとえ「自分は同性愛を認めている」と信じている場合でも、ときにクィアな生き方を、誤認したり、否認したり、つまりは端的に、差別してしまっていることがある。クィア・リーディングは、そうした認識に反省を迫るような、クリティカルな力を持ったツールでもある。
・クィア・リーディングが回答例になるとき
で、クィア・リーディングとして読もうとするとき、というか、私自身の経験としては「BL解釈読み」をしようとするとき、そこそこぶち当たるのが、「外見とか性別に言及している箇所があって、歌詞をそのまま受け取ろうとすると若干違和感がでてきてしまう」という事象です。「あの子」ではなくって「あの娘(こ)」 みたいに書く歌詞って結構多いじゃないですか。
そんな中、『初心LOVE』は『消えた初恋』の主題歌であり、ある意味、回答例がクィア・リーディングであるわけです*2。その影響があって、というのが大きいのでしょうが、歌詞中に、外見、性別への言及が無い(強いていえば一人称は「僕」である、くらい?)。最後の「ロミジュリ」に関しては「成就に向けて乗り越えないといけないものがある二人」の比喩、として、くらいに考えてます、個人的には…。
…という工夫で、ちょくちょくいろいろな方がおっしゃっている通り、同性間の恋愛の話にも、異性間の恋愛の話にも、そしてそれらに当てはまらない場合にも読めるようになっている。
だけでなく!!
「回答例」を『消えた初恋』という、男子高校生同士が恋に落ちるドラマにしているところが、すごくすごく大きな意義を持っているんじゃないかと思うんです。「同性間の恋愛としても読める」のではなく、「異性愛の恋愛の話としても読める」というのには大きな違いがあると思いますし、それはリリースされた2021年――まだまだドル誌では「好きな女の子のタイプは?」って質問が無遠慮にアイドルにぶつけられている時代*3――という時点で、すごく大きなことだと思います。
もちろん、外見や性別の話を詳細に記載することで、ディテールが強化されて、 リアリティが生まれるケースはあるだろうし、 技法の一つだと思うので否定するものではありません。aikoの歌詞とか、それがものすごく上手いなと思うし。あと歌詞じゃないけど、最近だと『花束みたいな恋をした』 に出てくる具体的な漫画や小説の作品名とかもそうですよね。
ただ個人的な経験としては、セクシャリティに関わらず、「大きな瞳と長いまつげの君」とか歌詞に書かれると「 あー私のことじゃないっすね〜どうもどうも〜ハイハイ〜」みたいになること、ありませんか?笑 これはよしわろしの話ではなく、ですが、外見や性別に言及しないことで、「聞き手に疎外感を与える可能性を減らす」というのは、非常に耳ざわりよく聞き手に届くというテクニックのひとつでもあるのでは、と感じました。
とはいえ、Aセク・Aロマ的に読むことは難しいかもしれないな…と、ここまで書いていて思いました。
Jストのサイトには「一生に一度の初恋を描いた」と書いてはあるけれど、「この感情の出会いとは初めてだな!!」って感じることは2回
・ドラマ『消えた初恋』の真摯さ
私は「このマンガがすごい!」大賞で気になって読んでた以来の原作ファンでもあったので、思えば、『消えた初恋』が実写化されて、しかも推しグループの子が出演する、という話を聞いた時、最初は正直怖かったんですよ。日本のテレビ、あんまり信頼してなかったし。日々のバラエティやドラマにモヤッとすることは、未だにそこそこの頻度であるし。
でも番宣の方法を見たり、1話2話と見進めるたびに、そんな不安はどんどん消し飛んでいきました。それはひとえに、【正しくあろうとしてくれる、真摯な姿勢】ゆえです。しっかりLGBTQ監修を入れた上で、原作漫画の大事なポイントのセリフはそのまま大切に、丁寧に演出してくれる。一方で、セリフという「音声」で聞く場合キツく感じてしまうような表現(文字で読む分には大丈夫だけど、そういうケースってありますよね)を、マイルドに引き直したり。30分という短い尺に入れることで誤解が生まれかねないところは、設定を工夫したりしている。逆に、映像化によって広がる背景に映り込むクラスメイトの描写は、より膨らませていたり*4。とにかく、原作へのリスペクトと、ドラマ化するにあたっての丁寧さを端々から感じました。
・正しくあろうとすること
世の中ではいま、いろいろなことに対して「正しくあること」ことを求めるようなムーブメントが起こっていることは、誰もが肌で感じているところだと思います。特に、よりさまざまな層の目に留まるようなコンテンツについては。また、真逆のようでそれと両立することですが、個人的な思いとしては、ゾーニングがしっかりしてあれば、すべてのエンターテイメントがすべからく「正しくある」必要は別に無いと思っています。
ただ、正しさを求めるムーブメントに対して、「ポリコレ棒(笑)」と嘲笑したり、「くたばれ正論」みたいに逆張りしたり…、正しくあろうとする努力をしていることをバカにする行為、に対しては、明確に嫌悪感を感じます。ものすごく雑に言えば「ダセェな」と思う。あとたまに、作品が何らかの炎上をしたとき、「
そういう世の中を「息苦しい」
「正しくあること」は難しいです。受け手も作り手も、
でもそんな中、「
そしてその『消え恋』を、解釈の回答例とした初心LOVEが、「ジャニーズの王道キラキラアイドル」を標榜してデビューしたなにわ男子のデビューシングルになっていること、本当によかったなと思うんです。王道のアップデート、を目の前で見ているようで。
なにわ男子さんの仕事を決めるスタッフさんが、とても丁寧に仕事を取ってきてくれているんだろうな、ということは、なんとなく肌で感じています。それはなにわ男子さん自身が素敵なお仕事を引き寄せているという点もあるでしょうし。どちらにせよ、本当に、「安心してファンでいられること」「安心して出演作品を視聴できること」は、ファンにとってこれ以上ない幸せだな、と日々思っています。いつもありがとう。
真摯であること、正しくあろうとすること、感覚をアップデートしようとすること。そういう努力を笑う人たちの声を歯牙にも掛けずに、「令和もウチら ぶっ飛ばしていくで〜!!」(by大西流星さん)の気概で、彼らが思う王道の道を、ぶっ飛ばしていっていただきたいな〜と思う所存です。
祝!楽曲大賞1位!!
*1:そして同率くらいで「松潤の振り真似をする河合郁人さん」が入るに違いない
*2:クィア・リーディングを「異性愛の枠内に収まらない性愛のありかたに注目する作品読解」と定義するならですが。
*3:あれまじでどうにかならんのか?アンケート出す機会があればちょくちょく書いているんですが笑
*4:漫画『消え恋』の魅力ってメインキャラ以外の子たちも決して「モブ」ではなくって、例えば「ヒロムとルミ姫」とか、食いしん坊刈谷君とか、そういうクラスメイトの子たちが生き生きしていることだと思うんですが、それを広げてくれたが本当にうれしかった。初回放送に食いしん坊刈谷くんらしきキャラが映り込んでいた時点で、最高を確信しました
*5:"I can't breathe"