都合が良い時だけ「俺たち」の文化にしやがって
例の件、こういう感じで以前に一度、私自身が自分の気持ちと向き合ってみた&一応オタクとしての気持ちを世の中……というかオタク内で、私はこの件をこういう風に考えていますよ、というのを表明してみたわけなんだけども。
で結局、『Make Up Day/Missing』も、『本音と建前』も、モヤモヤしつつも購入し、モヤモヤしつつも内容をすべて確認した。あまりにもアウェーな雰囲気の歌番組で披露されるのも見た。ホントにとんでもないことをしやがったなクソジジイと事務所、でもそのクソジジイと事務所が見いだしたから彼らの曲を聴けるわけで……、で、結局CDを買うことでその事務所にお金が落ちるわけで……という、逃れられないジレンマに陥ったりした。
で、自分の気持ちのモヤモヤが収まらないことに加えて、最近のいろんな報道を見てるうちに、報道や世論そのものに対してちょっと思うこともいろいろ出てきたので、というか一部は思い出しムカつきなんだけど、これもいまの感情として、ブログにしたためておこうと思います。
最初に書いておきますが、性加害の件を大々的に報じることが間違っているとは決して思ってないです。「他に報道すべきことがあるだろ」という意見に対しては、いやたしかに他にも報道すべきことはあるのですが、それらと優劣をつけるべきことではなく、埼玉のトンデモ子育て条例とかウクライナ情勢とか中東情勢と、同じくらい大変重要なニュースだと思っています。
自分たちの報道機関としてこういうことが過去にあって、それに対してどう向き合っていく、という、自らを省みるスタンスの報道が少しずつ増えてきたことに対しては、肯定的に捉えています。本当はもっと、報道機関も自分たちに第三者委員会とか入れて徹底的にやるべきじゃないの?と思いますけど。こんなこと引き起こしたメディアなんて今さら自浄作用なんかないでしょうよ。
いきなりめっちゃ脱線してリストの話をする。指名NGリストの話はそもそもいろいろ論点がある話だけど、NGリストに載っていたとされる東京新聞の記者が1回目の会見で東山社長にぶつけた質問、そもそもその記者が書いた記事(告発者以外の被害者の個人名が特定されかねない書きぶりをされている)から、関連して。
そもそも1回目の会見でタレント出身社長に投げかけられた「あなたは性加害を受けたんですか?」っていうセカンドレイプ質問に対して、もっと毅然と対応するべきだったと思うんだよな。投げかけられた本人が、ではなく、例えば同席している弁護士の仕事でしょうよ。
まあ大元は、広義*1のサバイバーであるタレントを社長として表舞台に引っ張りだしてきた事務所が悪いっていう話でもある。
でも事務所だけじゃないよね。次期社長の発表をする前から、キャスターをやっているタレント、SNSをやっているタレントに「何かコメントをしろ」っていう声は、プロの記者かそうでないかを問わずすごく多かった。さっきも書いたけど、タレントたちは広義のサバイバーであるわけで、彼らにコメントを求めるような世論のうねりを静止するマスコミとかコメンテーターはいた?リベラルを自称するならそれくらいはしてくださいよ!
ていうか全体的に事務所の会見が全然「毅然と」してないんだよ!!あまりにもゴシップ的な質問とか、セカンドレイプにあたったりとか、答えるべきでないことに対しては毅然とその旨を伝えるべき。なんでもかんでも記者に問い詰められたことに対して「そうですね……」(沈痛な面持ちと戦力外通告ボイス*2)で全部受け入れて答えるのは、ある意味思考停止ではないのか!?そんでその割にコソコソNG記者とか決めてんじゃねえ!という気持ちは、確かにある。
※2023/10/10追記
このブログを書き上げたあと事務所から目を疑うようなニュースリリースが出されていて、本格的にもうさすがに事務所担でいることは無理かな……と思った。毅然と対応しろって書いたのはゴシップ的な好奇の目を向けてくる記者とか世間に対してであり、被害者の可能性がある人に悪魔の証明をさせろということではないんだよ……
で、本題に戻る。とはいえ確かに、タレント出身とはいえ、経営側に回った立場の人間はいろいろなことに対してコメントする必要があるだろう*3。ただ、経営側でもないタレントにコメントさせることに飽き足らず、舞台やコンサートの現場、ショップの近くでオタクを捕まえてインタビューし、その顔も、誰ファンであるのかも、ショップで買ったレシートも晒して報道すること、本当にいま一番、この問題を解決するにあたって必要なことなんですか??
ジャニー喜多川が死んだときの社会の雰囲気を、よ~~~~く覚えている。
私は社会人数年目だった。通夜に集ったタレント大集合の写真が公開されて、その中で自担がどこにいるかを目を皿のようにして探したり、タレント大勢の追悼コメントが発表され、タレントたちの生の言葉としてわりと楽しんで読んでしまった記憶もある。
そして記憶にはっきりと残っているのは、時の首相が追悼コメントを出したこと、また、ワイドショーの有識者枠で出ているコメンテーターが「いかに事務所のエンターテイメントが素晴らしかったか」を語り、歌番組だけでなく報道番組でも追悼コーナーが組まれたこと、だ。特に忘れられないものがある。年配の男性コメンテーターが放った、「ジャニーズのエンタメは非常に素晴らしいので、男性も一度見るべきものだ。顔ばっかり見に来る女こどもだけのものにしておくのはもったいない」というような内容のコメントだ。
まあ案の定炎上していたし、私も例に漏れず非常に怒りを覚え、頭から湯気が出そうになった記憶が鮮やかに残っている。顔だけを見に行くのではない。そして顔を見に行っていたとしても、何が悪いことがあろうか。オタク=女こどもという決めつけも非常に安易である。いろいろ突っ込みどころはあるが、そもそも、素晴らしいエンタメって、どうせ招待された有名グループのコンサートとか、テレビの話しかしていないんじゃないか?本当にいろいろな、それこそ爺さん直轄のジャニワとかジャニアイとか、難解な舞台も見た上で言っているのか?三幕で突然キャメロンがめっちゃ映像出演してきて呆然としたこととか、あるか??
確かに事務所のタレントはテレビにたくさん出ていたし、お茶の間人気も重視していただろうけど、そのファンダムの中心にいたのは、私たちオタク(体感、女性が多いだろう*4)だ。それが、「女こどもは顔ばっかり見て本質がわかっていない」と勝手に断罪されて、文化を簒奪された。『この国を代表するエンターテイナー』『もはや日本の文化』『世界に誇る天才プロデューサー』……訃報に際して突然投げかけられたそれらの言葉で、ジャニーズは「俺たち」のものにされてしまった。
ちなみに余談だが、私はプロスポーツも好きで、(今はそうでもないけど)当時、それらのファンダムは男性比率が高かった。それはそれで、ネットコミュニティでは女ファンは何をしていてもだいたい「顔ファン」「ニワカ」「彼氏の影響か?」と誹られ、メディアにも『○○女子』とミーハー扱いされた。いやそもそも顔が好きだったりニワカだったり恋人の影響だったりミーハーであることの何が悪いかわからないが……。そんな中、ファンダムの中でマジョリティでいられるが故に、余計なストレスのかからないジャニーズのファンダムは非常に居心地が良かった。これはある種、特権的な立場だったということだろうけど。
翻って、今、である。
毎日のように、SNSでは「○○の現場でオタクのコメントを取ろうとするテレビ局がいます!」と注意喚起され、実際にワイドショーでは何度も何度もテレビで取材を受けるファンの姿を見た。顔も、持ち歩いているグッズも大写しにされ、「○○のファン(20代)」と推しも年代も晒され、コメントを切り取られる。そしてそれらが映像として、キャプションとしてインターネットに残る。世間は許していない事務所を支持し続ける「変な人たち」として。変な人たちを批判して、俺たちはそういう人たちは許しませんよ、はい終わり。事務所のエンタメは、「俺たち」の文化にされていたことなどなかったことのように、また、オタクの手に押しつけられる。
私たちオタクにも責任がないとは言わない。でも、事務所と先代の横暴を許したのはメディアとの癒着であり、ホモフォビアであり、もっと言えば一人一人が生きているこの社会なんじゃないんですか??オタクにインタビューして、オタクを自分たちのサイドから切り分けて、批判の矛先をそっちに向けて、自分たちは「そうじゃないから」と安心している。これはメディアにも言っているし、世間にも言ってるけど、それってこの問題の根本的な解決になるんですか?????
都合が良いときだけ「俺たち」の文化にしやがって。まごうことなく、この問題は、私たち、俺たちの問題なんだよ。
くだんの会見以降はじめて、事務所にお金を使った
要約すると掲題になる話なんだけど、この瞬間の私の気持ちは140文字じゃなくて残しておきたいなと思ったので、めっちゃ久々にノーパソを叩いています。
ちなみに私は
・「これからも変わらず事務所を全力応援!」みたいな姿勢ではない
・タレントたち本人については応援したいし、なんらかのケアを受けていて欲しい。てかタレントの頑張りによって事務所がなにかを挽回できるわけではないだろ……
・ただ、事務所の対応を批判する人たちの一部に、ゴシップとして消費する野次馬根性、「女オタク」や「女子どもに消費されてるタレント」を叩きたいというミソジニー、こんな会社が芸能界の中心にいた日本/アジアってヤバい!的なオリエンタリズム、を感じていて、これらに関しては明確に嫌悪感を抱いてます。
お読みいただくにあたってはご認識のほど、よろしくね!(免責事項)
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タレントが矢面に立たされることだけは止めてほしいなと祈るような気持ちでチャンネルを合わせたら、事前の報道通り、思いっきしタレント2人が出てきたので、マジか~~~~~と思った。報告書の内容について認めて謝罪し、だが株主は変わらず・社名も変わらず、ということまではとりあえず把握して、なんつうか、大丈夫か!?っていう感じの新社長の答弁とか、あまりにもゴシップ的な記者の質問とか、を、ぼーっとする頭で聞いていた。
フォロイーさんのポストに報告書についての話があったので、ひとまず読んでおくか、と思って、事務所のホームページに載っていた公表版に目を通した。かなり具体的な記述が多くてショッキングで、ああこれは、もうこの社名、そのオタクであることを名乗り続けるのは厳しいな……と思った。
会見後にいろんな企業がCM契約を切るという話が流れてきて*1、いわゆる「世間」の潮目が一気に変わってきたな~と思いながら、いま考えることじゃないのかもしれないけど、いち消費者として、いちファンとして、会見後に最初に発売されるのが自担グループのシングルで、その動向で売れても売れなくても絶ッッッッ対なんか書かれるんだろうなーということ、そして何より、タレントとグループと楽曲自体はすごく好きだけど、その売上はこの事務所に入るわけで、たぶんクレジットに社名もそのまま載っていて、それに対してお金を出すのは自分の倫理観とあんまりマッチしないなーということ、などが積み重なって、すご~~く憂鬱な気持ちになった。
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ちょくちょくオタク議論の俎上にのぼるけど、センター可変式のグループ(嵐です)のオタクとして育った身としては、「自担がセンターの曲」≒自担仕事のタイアップ曲、は、やっぱり特別に感じてしまう。だからといって「前回の○○くんタイアップより今回のCDが売れてないのは△△くんと△△担の責任」みたいな飛躍した論は全くお門違いだと思うけど。これほんとに言う人いるよね!?!?(いろいろ根に持ってるよ!!)
デビュー後初めての自担仕事タイアップ曲もすごーく良い曲だったんだけど、タイミング的なものなのか、1stアルバムに収録されてシングルカットはされていなかった。だから今回、初めての自担ドラマタイアップ、自担センター曲、であるところのMake Up Day、主語デカで申し訳ないけど、大西担はみんなすごい(なんならデビュー前から)楽しみにしてたし、私もその一人だったんだよ!!!!!!
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CD屋さんに予約していたCDを引き取りに行った。行きしな、CDショップの中、心のどこかがずっとビクビクしていて、後ろめたいことをしているような気持ちになった。並んでいる時、隣のお姉さんがビファのトートバックを使っていて、いや別に向こうも私のことなんか気にしてないだろうけど、なんかホント、すみません、って感情を抱いてたほうが良いのかな…って思った。会計してもらって、ああ事務所にお金払っちゃったな~と思って、CDとクリアファイルが入ったタワレコの袋をそのまま持ち歩くのもなんかなと思って、リュックの中にしまった。
看板でちびぬいと写真を撮っていたりする、おそらく同じCDを買いに来ている人が結構いて、それ自体は少し罪悪感を薄めるような気持ちになったけれど、この子たちも葛藤しながら買いに来ていたりするんだろうか、それともツイッターのおすすめ欄でたまに出てくるあんまり相容れない主張をするタイプのオタクかもしれない、みたいなことをモヤモヤ考えてしまった。目の前の彼女たちが別にどういうスタンスであっても私には何しようもないんだけど。
会見のはるかはるか前から、オタクなんて一枚岩じゃないのは当たり前だったけれど、私はオタク同士の連帯が好きだったんだな~と思った。SNS上で出会った趣味が共通の友人とオンラインで交流すること、そして現場の前後とかに実際に会っておしゃべりすること。フォロー・フォロワーの関係になくてもRTで流れてきて面白いな~っていうツイート。家の最寄り駅から電車に乗ったら同じツアバを持っている人がいて、目が合ったときの会釈。現場から駅に向かうタクシー待ちの列で隣になったお姉さんたちの話がつい漏れ聞こえ、つい参加してしまって、ここが良かったですよね!って盛り上がること。オンラインでも・リアルでも、時に強く・時にゆるく感じた、ファンダムの連帯感。それらがいま、ああなんかちょっとこの件に関して、考え方が違うっぽいな……、いや厳密には違う分には全然いいんだけど、ちょっとその考え方は私の倫理観とは相容れないな…、っていうのがツラい。被害者とかタレントと比べて、とかいう話ではなく、私は私として、相対的にじゃなくて絶対的な感覚として、ツラい!!!!!
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フラゲだから内容を事細かに話すことはしないけど、ホントにいい曲だった。タイアップドラマもまだ途中だけど、社会の旧態依然としたところを変えていこうっていう意識を感じて、好きなタイプのドラマだ。問題提起のニュアンスが割と強いので、それ自体が原因に直接届くか?という疑問はあるんだけど、変革の布石としてすごく意味のあるドラマじゃないかなと思っている。ちなみに「問題提起ニュアンスが強くて元凶に届かないんじゃないか問題」は『問題のあるレストラン』を彷彿とさせるんだけど、あのドラマがあってこその『逃げ恥』ブームだと思っているから……(唐突なドラマクラブ)
今回のドラマや主題歌に限らず、彼らの提示する価値観に共鳴してオタクをやってきた側面も大きい。それは「僕空」にも「初心LOVE」にも感じて、ブログに残しておいたりした(いま平常心でそれをすることはできないから、思い立った時にやっておいてよかったし、もっとやっておけばよかったな~)。さっき『BTSはジェンダー不平等や欧米のアジアンヘイト、韓国国内における若年層が抱える問題について積極的に取り組んできて……』っていうポストが流れてきて、詳細もちょっと読んだりしたけど、読めば読むほど、なんか、なにわが、セクゾが、提示していた価値観のスタンスはそういうポリティカルに正しくあろうとする姿勢と、近からずとも遠からずだったんじゃないかと思うんだけどな……でも事務所がそもそも性被害の温床だった時期が長くて、それを全然対応してこなかった訳で……と、暗澹たる気持ちになってしまい、途中でギブアップした。自己肯定感に基づく他者の肯定、可愛いっていうことは「かっこいい」へのステップではなくてそのまま誇っていい、国境を越えての友情、メイクは性別問わず別にしてもしなくても良くて「男らしさ/女らしさ」から自由になろう、っていうのがめっちゃ好きだったし今も好きで、それらと事務所のあれこれは、直接は関係ないけど、彼らが活動してきたベースには、どうしても故人のオーディションなどの活動と、故人の名前を冠した事務所があって、ずーーーん……。
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当事者の会が過去こんなことをしてました、とあげつらう気にはならない。過去こう言っていたのに、ということに関しては、あれが被害だったのかと途中で気づくこともあるだろうし。Aについて当時オタクから見えたことと違う事実と異なることを言っているから、Bについても嘘だ、ともならないだろう。第三者委員会が報告書を作って、その内容を事務所が認めた、ということ、それ以上でも以下でもない。
で、じゃあ、だからといって、知り合いから「ジャニオタだったよね?誰々も"やられちゃって"るんじゃないの?」みたいなクソみたいな連絡が来たり、日頃から「アイドルにキャッキャ言う女ども」とか「女子どもにキャッキャ言われてやがるジャニタレ」が気に入らなかった層が乗っかってミソジニー満載で叩いているのも本当~~に腹が立つし、一部の海外勢がAsian weird culture……みたいな感じでオリエンタリズムマシマシで取り上げているのも本質からズレていると思う。もう何見ても心がチクチクするから何も見たくない!と思うけど、見たくない!ってやってきたことが今までの結果なのでは?って言われると、まあじゃあ、どうしたらいいんだろうか。
オタクはどうすれば良かったの??噂は聞いたことあった。ジャ…さんのおうちに泊めてもらいました、というタレントの話を、エッと思ったこともあった。でももうそんなことテレビで言うくらいだしさすがに何もないんだと思っていた。それはオタクとしてもっと疑問に思うべきだったの?オタクごとグルーミングされていたと言えばそうかもしれないけど、東京ドームでの葬式まで行っといて故人の写真の載ったポストカードをもらい、葬式に参列するタレントの集合写真をズームして見ながら、誰々くんは制服だね!この辺は○○のグループが固まってるね!ってキャッキャしといて、私には責任がなかったのだろうか?
で、ここにきてそれらの詳細はこうでした、事実でした、と事務所も認定した。それに対して、私は今発表されている体制にしただけでは、対応が十分でないと思っている。でも同時に、何年単位で、実現しうるかわからなかったけど、すごーーーく楽しみにしていたことが実現した。で、いざそれをしようとすると、自分の倫理観上どうなん?と思うことも同時にしてしまうことになった。どうしたらよかったのかな。わかんない。
そして来週は来週で、こちらも、何年単位で、実現しうるかわからなかったけど、すごーく楽しみにしていた、椎名林檎提供曲(曲、最高)というシングルが待ち受けている。うーーん。
いい曲なんだよ。
ここにYouTubeを貼ることは、どうなんか?良くないのか?どうなんだろうと迷って、貼る。
*1:これについて「手のひら返し」みたいに言われていることも多いけど、あくまで「あの報告書とあの会見の結果」ということだ、ということが、アサヒの社長の話はわかりやすかった。で、これ私プレゼント機能で読んだけど、こういうときに有料記事のハードルって、高いよね
追憶のCocoa(下)〜杉並区民が語る「夢の国のような吉祥寺」聖地巡礼編
あらためて、セクシードーム、初日おめでとうございます🎊
前編で長々とCocoaの歌詞について語ってしまいましたが、ここからはさっくり吉祥寺のことを話します!!割と記憶ベースな話になりますが、お許しください。
前編はこちら↓
① 「広がったデパートの屋上」に行こう〜吉祥寺東急百貨店
風磨くん含む我々世代が育った当時、吉祥寺には東急百貨店と伊勢丹の2つのデパートがありましたが、屋上遊園地が充実していたのは東急百貨店でした。(伊勢丹にもあったのかな?東急にばかり連れてってもらった記憶)現在、伊勢丹は閉店して跡地に「コピス吉祥寺」ができていますが、東急の方はそのままの建物で営業を続けています。
ただ、屋上「遊園地」はもう無くなってしまいました。今は芝生が植えられた広場があるのみですが、一休みはできるので、吉祥寺に来ることがあれば一服して思いを馳せてみては。
ちなみに当時はお金を入れると動くパンダとか、レールの上を走る電車とか、アンパンマンのメリーゴーランドなどがありました。ヒーローショーとかは井の頭公園のステージの方でやっていたと思うけど。いま見たら小さいのかもしれないけど、当時はすごく大きく感じたなぁ。
無くなる前の様子がわかるブログを見つけたので、ご参考までにリンクを貼らせてもらいます。
なんでこういう屋上の遊園地って奥に熱帯魚屋さんがあったんだろうね??
ちなみに、デパートの屋上遊園地は当時いろんなところにありましたが(私のお気に入りは新宿小田急でしたが、そこもビルごと建て替えが始まりましたもんね……)、今はほとんど都内では無くなってしまい、蒲田の東急プラザに唯一ある模様。場所自体は吉祥寺ではありませんが、当時の面影を残す場所として、聖地(?)巡礼してみるのもありかもしれません。私も行ってみたい。
ちなみに東京に限らなければ、名古屋松坂屋の屋上にもあるらしいです。このレトロさもめちゃ良いな〜〜!!
② 「あの公園」が井の頭公園じゃないとしても
「小さな手のひらにあの公園で 缶のココアをくれたから」……この歌詞こそが曲名の『Cocoa』に繋がっていくわけですけど、「あの公園」とはどこなのか……。
吉祥寺、といえば、都内有数の大公園である井の頭公園まで徒歩で行ける駅です。ただし、PAGESのアルバムの初回限定盤に付いていたフォトブック(各メンバーが思い出の地と一緒に写っているもの)で風磨くんが撮影をしている公園は、井の頭公園ではありません。「あの公園」自体は井の頭公園ではないのかもしれない。けれど、「夢の国のような吉祥寺」にはきっと井の頭公園も含まれていたはずで、そういう「あの頃の風」を感じに行くのもまた一興でしょう。
井の頭公園自体は有名観光地なので、おそらく検索したりガイドブックをひらけば、もっと詳しい案内がたくさん出てくると思います。ですので、ちょっとした当時の思い出や、好きだったものを書いておこうと思います。
ちなみに「井の頭線公園で缶のココアを買いたいな〜!でも、もし売ってれば、だけど……」と思っていましたが、冬場に行けば大体どの自販機でも売ってました(完)
・ジブリ美術館 〜ネコバス乗ったことある?
今でこそ吉祥寺の観光地といえば…の王道のような顔をしているジブリ美術館ですが、完成したのは2001年、我々世代が小学校1年生の頃でした。当時目玉は「実際にネコバスに乗れる!」というネコバスのアトラクションで、ネコバスに乗れるのは小学生以下……だったわけですが、出来たてのジブリ美術館は、それはそれはチケットが取れず。気がついたらネコバスに乗れる年齢は過ぎてしまっており……。クラスでも土日にネコバスに乗ってきた子がいたら、かなり話題になっていました。風磨くんは乗ったことある??(私信)
・井の頭動物園 〜ヒトという展示物
井の頭公園の中には井の頭動物園という動物園が併設されています(動物園と、池のボートが2大名物みたいなもんか)。この井の頭動物園、規模としては上野動物園、天王寺動物園、東山動物園には及ばない比較的コンパクトな動物園ですが、リスがたくさんいる小屋の中に人間が入れる「リスの小路」など、ひとひねりある展示が多いんです。なかでも一番クセがあるのは「ヒト」の展示。大きな檻のなかに、カーブミラーのような鏡が入っているものが置かれており、「ヒト」「扱い方によっては、たいへん危険」と書かれている……という。ヒトも動物だからね。
これ昔からあるんだけど、このちょっとニヒルな捻り方、もしかしたら小さい頃に風磨少年が見たかも?という想像を膨らませています。
・スポーツランド 〜夢の国のような…
最後にとってもおすすめなのが、井の頭動物園の中にある、小さな遊園地「スポーツランド」。井の頭公園は公園なのでタダで入れて、でも動物園はちょっとお金払わないといけないんだけど、動物園の中にあるこの遊園地に入るだけでも気持ち的に元が取れるからぜひぜひ入って欲しいです。
遊園地といっても、スリリングなジェットコースターはありません。百円で乗れる、ちびっ子向けのレトロでかわいい乗り物が数個ある、小さな遊園地。でも、「夢の国のような吉祥寺」というイメージになによりピッタリなのはここだな、と私は思っています。
ディズニーランドやとしまえんに行くにはまだちょっと小さい子どもが、生まれて初めて行く、近所のかわいい遊園地。自分の話で恐縮ですが、私も1歳頃にここのメリーゴーランドに親と一緒に乗っている写真がまだ残っています。きっとこの辺で育った子供にとって、最初の「夢の国」だった場所。そして今も近くの子どもにとっては、そうで。
この空気感は、なかなか言葉で伝えるのは難しいんです。ぜひぜひ、足を運んでみてください。
結論
吉祥寺に来たら、井の頭公園の中の井の頭動物園にある「スポーツランド」に行ってね!!!!!!Cocoaが好きなら絶対好きです!!!!!
おわりに
土地と歌、の話が、昔から好きです。
古くは中高生の時、関ジャニ∞の『大阪ロマネスク』や『パズル』など、実際の関西の地名が出てくる歌が大好きで。まだ(趣味による)「聖地巡礼」という言葉も世の中に浸透するか、しないか……という時期だったと思いますが、もう少し大きくなったら大阪に行って、「ロマネスクに出てくる場所巡り」をすることが夢でした。それがまだ叶わない時には、大阪に土地勘のある方や関西弁に造詣のある方が書いているブログやYahoo!知恵袋を見ながら、まだ見ぬ土地や、テレビでしか聞いたことのないイントネーションの言葉に対して、イメージを膨らませていました。
今ほどSNSも発達していなくて、遠くに住んでいるインターネットの友人と繋がることも、中学生には難しい頃でした。実家も出たことがなく、祖父母も近くに住んでいて、地元以外に縁のある土地がなかった私にとって、実際に行ったことはない、知らない土地だけど、その街に実際に住んでいる人がいて、積み重なっている日常があって、というのはすごく不思議なことのように思いました。
大学に入ってから、別の用事で大阪にほぼ初めて行ったとき、ここが御堂筋かぁ…(じーん)ここが戎橋かぁ…(じーん)ここをこう行くと堀江公園かぁ…(じーん)となった瞬間を、私は生涯忘れないと思います。でも同じくらい、その前に繰り返し繰り返し読んでいたブログやWebサイトも忘れないと思うのです。きっともう無くなってしまったサイトや、見られなくなってしまった質問もあるだろうけど。
願わくは、このブログが吉祥寺に、杉並に行ったことのない人の、もしくは行ったことはあるけどあまりピンときていなかった人たちの、そういう存在に近いものになれたら。そしていつか実際に吉祥寺に行って、「ラビリンスなノスタルジー感じ」た時に、心の隅っこでこのブログのことを思い出してもらえたら、とっても幸せです。
追憶のCocoa(上)〜杉並区民が語る「あの頃の日常」編
本当に関係のない前書き
悲しい〜こと〜が〜ある〜と〜
ひら〜く〜はて〜ブ〜の表紙〜
(卒業写真/荒井由実)
思えば、はてブを初めて書いたのは、コンサート代の振込を忘れて、落ち込みの淵にいる時でした。タイミング悪くコロナに感染し、セクゾの初ドームに行けなくなって(まずは本当に各所にご迷惑をおかけして申し訳ないのですが)いま、ふと、はてブのことを思い出しました。何もしていないと悲しい気持ちになってしまうので、手を動かしていたくて、全然関係ないことですがブログを書きます。遠征の移動時間とか、入場時間が早くて暇を持て余している方がもしいらっしゃったら、お付き合いいただけると嬉しいです。
ちなみに、同じ目に遭う人を少しでも減らすべく何度でも口酸っぱく言っておきたいですが、「当落出たらその日にPay-easy」これがジャニオタを楽しく続ける上での合言葉です。
はじめに
セクシーゾーン ドームツアー2022 ザ・ハイライト
改めて、開催、おめでとうございます!!初日は明日なので、少し気が早いですが……
私自身は途中から船に乗った身ですが、本人たち、スタッフさんたち、仕事関係の方たち、そしていろいろなタイミングから応援している人たちのいろいろな思い出が積み重なった結果、デビュー11年目でドームツアーを行うに至ったということ、本当に感慨深く感じています。
私が本格的にどっぷりファンになったのはPAGESの風磨くんソロ『Cocoa』がきっかけなのですが、このタイミングで私としても改めて自分の好きを整理し、かつドーム公演に際して日本全国…いやもしかしたら世界から、ここ東京に来ているかもしれないファンの方と、改めてCocoaのここが好き!を東京で語り合いたくて、このエントリを書くことにしました。
なお、これまで何度かTwitterでぽちぽち「地元民の考えるCocoa」的なツイートをしたことがあるのですが、それを改めて纏めておこう!というのが今回の大元の趣旨なので、もしTwitterのフォロワーさんが読まれていたら、ほぼ焼き直しやんけ!と思われるかもしれません(特に今回投稿する前編)。すみません……
簡単な自己紹介
・風磨くんと同い年のアラサー会社員
・前述の通り、Cocoa出の風磨担(ずっと抗っていましたが、最近自称できるようになりました)
・今は別の地域に住んでいますが、生まれも育ちも東京都杉並区。ラジオ・テレビ等でオフィシャルに公開されてきた情報を見る限り、風磨くんと地元はめちゃくちゃ近そうで、ジャにので言及されていた話がガチなら、高速のICは同じと思われる。
……まあ実際に、彼の地元がどこなのか?とかは「本当のことを知りたいの/本当のことなんて知りたくはないの」*1の世界の話なので、少なくとも「あの時代に、同じように吉祥寺のことを"夢の国のよう"と思っていた同世代」の話だと思って話半分で聞いていただければと思います☺︎
杉並基礎知識
・杉並区の立ち位置
出身は杉並です、と言うと「へぇ〜〜」……以上の反応が返ってきたことは基本ないんですが、区外の方は杉並にどういうイメージを持ってくれているのでしょうか?ひとまず、説明を区のホームページから抜粋します。
杉並区は東京都23区の西側にあり、一般に「城西地区」と呼ばれ、東は中野区、渋谷区、西は三鷹市、武蔵野市、南は世田谷区、北は練馬区と隣り合っています。
人口は57万人で、鳥取県の人口よりちょっと多いくらい。まあ大きな区ではありますが、100万人近い人口のお隣・世田谷区と比べると、住宅地としてピカピカに箔があるわけでもなく、葛飾江戸川みたいな下町風情があるかと言われるとそんなわけでもなく、練馬ほどのどかな感じもなく、まあ「あんまり派手じゃない住宅地」みたいなイメージでしょうか。ミスドでいうとハニーディップくらいの立ち位置かな。
ちなみに私の狭い観測地域ですが、15年近く前の当時でも、小学校のクラス1/4くらいは中学受験している…という話を聞いていたので、比較的、教育熱心な地域なのかなとは思います。
・電車とバスと杉並区
住んでいた身からすると、杉並の大きな特徴は、「横には動きやすいけど、縦には動きづらい」これに尽きます。
というのも、杉並区は広大な住宅地。並行に北から「西武新宿線」「中央線(東京メトロ丸の内線…荻窪で中央線に合流)」「京王井の頭線」と3本(丸の内線も入れると4本)の電車が走っていて、これらは東京や新宿渋谷という都心・副都心と、23区の西端である杉並区を結んでくれているのですが、全く別々の会社がゆえ、なかなか乗り換えることは難しく、独立した文化圏を築いているのです。
全体的にどの路線ものほほんとした住宅街ではありますが、なんとなくのイメージは、
・西武新宿線……沿線にアニメスタジオが多く、アニメの街・杉並の一翼を担っている。上井草駅の発車メロディはガンダムで、駅前にもガンダムの銅像があるよ。住んでる人は、他路線に比べて比較的大学生とか単身の若い人が多いイメージ。
・中央線(丸の内線)……杉並区の王道。荻窪、阿佐ヶ谷、高円寺などいわゆる「杉並っぽい」街を繋いでおり、アーケードつきの活気ある商店街と、他を寄せ付けないカルチャー感で他2路線を凌駕。高円寺の阿波踊り、阿佐ヶ谷の七夕祭り、とイベントにも事欠かず、観光で来る機会があるなら絶対中央線沿いでしょう。
・京王井の頭線……閑静でおとなし〜い住宅街。西武線に比べるとファミリー層が多いか。「日本一ポルシェが売れる街」こと高級住宅街・浜田山を擁するが、まあそれ以外の駅はそうでもない。沿線に大量のサミットがある。
そしてこれらの沿線を縦に移動するためにはバス(京王バス・関東バス・西武バスという私鉄系に加えて、「すぎ丸」という区営バスがある)に乗る必要があり、行き先に応じて杉並区民はわりと「最寄駅」「最寄りバス停(最寄駅ではなく、違った沿線の駅が終点)」を使い分けているケースがあります。
というわけで、実は同じ杉並区民だということが判明しても、直線距離で家が近かったとしても別の沿線に住んでいる場合、実はあんまり区民同士でもご近所トークが弾まなかったりします。
Cocoaの歌詞について〜移動手段の変遷と主人公の成長
このブログを読んでいただいている方はもうご存知の方が大多数だと思いますが、一応、Cocoaという楽曲についても概要を記載しておきます。
『Cocoa』は2019年にリリースされたSexy Zone 6thアルバムに収録されている菊池風磨さんのソロ曲です。作詞は風磨くん自らの手によるもので、作曲は嵐のA・RA・SHIを作詞したJ&Tこと風磨くんパパTWUNEさん。……ということからも薄々わかるように、エモ道の大家である菊池風磨さんが、自らのエモエネルギーを今回は「幼き日の自分と家族」に注ぎ込んだ作品です。
え、風磨くんのソロ曲って、夜(卍)シーツ(卍)クラブ(卍)夏の海(卍)潮 月より君満たすこと優先(卍)みたいな陽キャパリピみたいなのばっかりじゃないの?と思った私、このギャップにするすると溺れ、気がついたらジャストミート恋のスイッチはオン……だった訳ですが、その話はまた追々。
歌詞のリンクを貼っておきます。
というわけでCocoaの内容をものすごく平たく言うと「大人になった主人公が、子供の頃のことを思い出して懐かしんで、もう戻れないことを少し寂しく思った上で、今の自分と向き合う」という話なのですが、私が今回噛み締めて味わいたい歌詞の箇所はズバリ!「歌詞中に出てくる、移動手段の変遷」です。
乗り物が移り変わることによって、成長や立場の変化を表す……というのは、たまに他の歌でも見かけるケースですが、例えばこちら。
大人になって「明け方の電車に揺られ」(1番)たり、「忙しなく街を走るタクシー」(2番)に乗りながら思い出すのは、
子供の頃に「ひしゃげて曲がったあの自転車で走り回った」(1番)り、「靴を片方茂みに落として探し回った(=徒歩で)」(2番)光景、な訳です。
ちなみに『Cocoa』と同じ、僕の心のやらかい場所が♪*2刺激されるので、『灰色と青』も大好きな曲です。こちらは幼き日の自分と家族……ではなく、幼き日の自分とその頃の友人……に思いを馳せた歌ですよね。
Cocoaに話を戻すと、移動手段が1番と2番で変化していることがわかります。
・「逃して泣いた徒競走の一等賞」
・「電車で連れてってくれたあのヒーローショー」
1番:子供の頃→徒歩(徒競走)、親と乗る電車
・「電車で通るたびにラビリンスなノスタルジー感じ」
・「流れに沿う環状線」
2番:大きくなってから→1人で乗る電車、車
ここで「環状線」について注釈を入れておきたいのですが、おそらく都民が「環状線」と聞いた時に思い浮かべるのは中央環状線、つまり首都高=車なのでは?と思います。JR山手線は確かに環状線ですが、「環状線」と呼ぶ人はあんまり見たことがないような…。山手線はあくまで「山手線」なので。また、23区西部の出身者にとっては「環状線」は「環七」「環八」と呼ばれる大きめの都道のことでもあります(皇居を挟んだ反対側のことはあまりわからないのですが、もしかしたら足立区とか江戸川区でもそうなのかな?)。ということで「環状線」=車、と判断してしまったのですが、歌詞の読み方は人には人の乳酸菌なので、別の解釈ももちろんアリだと思います。
ちなみに関西で「環状線」と言ったらおそらくほとんどの人にとって大阪環状線(電車)なわけで、関東と関西で同じ言葉でも全く別のイメージを持つのは面白いよね。中京圏なら都心環状とか名二環を指すのかな?となると車か。名城線は名城線ですよね。厳密には環状なのかわからんし……
ま、というわけで、徒歩→親と一緒の電車→1人で電車→車、と、曲が進むにつれて主人公の移動手段が変化し、それはだんだん行ける場所が広がっていることの現れでもあり、つまり主人公が「大人になっている」ということだと思うのですが、非常に綺麗な歌詞の呼応だな……と思いました。
ここでさらに、地元民トークで「電車」について掘り下げます。
歌詞中、電車で連れてってくれた/通るたびに、の場所は「夢の国のような吉祥寺」、つまり吉祥寺駅だと思われますが、吉祥寺駅に乗り入れている電車はJR(総武線、中央線)と京王井の頭線の2社3路線です。吉祥寺まで下って来ると、総武線と中央線は名前は違えど各停か急行かの違いしかない実質同じ路線のようになっているので、JRか井の頭線かの2種類と考えてよいと思います。
実はこのうち、井の頭線は吉祥寺駅が終点なので、言葉尻をとらえて言うなら、折り返すことはできても、「通る(通り過ぎる)」ことができません。つまり、2番の1人で電車に乗って吉祥寺を通り過ぎている主人公は、おそらく総武線・中央線に乗っていると思われます。
一方、曲の主人公と風磨くん自身をどこまで混同して考えるか、というのも難しい話ですが、『あざとくて〜』やジャにのやラジオの話を聞いていると、風磨くん自身は井の頭線に馴染みがあるようです。解釈の一つとして、1番の「電車で連れてってくれた」の電車は、親と一緒に乗っていた井の頭線。2番で主人公が1人で乗っているのはJR。と、「電車」を2層に分けることもできるのではないかと思いました。
ちなみに、井の頭線の改札を出たところには大きな紅茶専門のスターバックスがありまして、そこは壁がガラス張りでJR総武線の様子がカフェから丸見えのデザインになっています。逆に言えば、JR吉祥寺駅を通り過ぎる総武線の、ホームと逆側の扉からは、カフェ越しに井の頭線の改札の様子が見えるわけで、それは井の頭線をもう使わなくなった主人公(想像です)にとっては、かつて親が吉祥寺に連れてきてくれるときに通っていた場所……ちょっとだけおセンチな景色……なのかもしれません。
ご参考まで↓
続きます!
すみません、いつもの如くめちゃくちゃ長くなってしまったので、前後編を分けます!!
次回は実際に吉祥寺の話をしようと思います!さらっとガイド程度の予定です!!自己満でしかないけど、遠征でみなさんが東京にいるうちにアップしたい!!
こういうときに横浜市民なら横浜市歌を聴いて待っていてもらうと思うんですが、杉並にはそんなオシャレな区歌はないので、杉並が誇る首都圏の地域スーパー「サミット」(本社・杉並区)で土日に流れる店内放送『ウィークエンドサミット』*3でも聴きながらお別れです!!!ではまたのちほど!!
〜Part2 夢の国へ行ってみよう!編 へ続く〜
続き書いたよ!↓
【ネタバレあり】もっと超越した所へ。感想
風磨担、もっ超みてきたよ!!
(これは、ここでライトに「風磨担」と自称してみることによって慣れからなんとか今後カジュアルに風磨担を名乗れるようになりたいという鍛錬です)
★ネタバレあります!!★
↓
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- ★うまいな〜と思ったところ……結局、イッツマイソウルなわけよ
- ★ちょっと気になったところ……トミーのあれこれと、いや、そこまでして「恋人」といなくても…という1/3の感情
- ★エンドロール、ならびにふうまくんの今後の作品こわい(まんじゅうこわい)
もっ超、○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○のだが、無事に○○○○○○でサイゴン陥落しました ヤバ…… https://t.co/yUExz4gqIo
— なずな (@nazpipi) 2022年10月15日
@nazpipi ›だれでも
もっ超、想像していた以上に怜人くんのクズ度が高かったので、いくら風磨くんのビジュアルをもってしてもいや絶対別れた方がいいだろ!!と思いながら最後まで見終わったのだが、無事にエンドロールでサイゴン陥落しました ヤバ……
正直、千葉雄大のトミーくんが絡む話は他男子3人とは違うものとして話さないといけないと思うので、その扱いが映画全体でちょっと気になったが、全体にただよう小劇場っぽさとシスターフッド的なところはすごく好きだったな!!!
— なずな (@nazpipi) 2022年10月15日
見終わりホヤホヤの私の感想としては、
・冒頭のふせったーでは「クズ」と書いたものの、この世に万人から見て「クズだな〜」と思われる人も逆に「この人は人間的に最高!」と思われる人もきっと存在せず、恋愛を含め、なんらかの人間関係は、あくまで人間同士の相性
・人は簡単には変わらない
・モヤモヤがあった時は言葉に出してぶつけて共有することで、何か解決源のエネルギーになることが往々にしてある
ということ、を、うまく描いてる作品だな〜〜と思いました。全体的にエネルギッシュで面白かった!!けど若干、表現に気になるところもあった!!(後述)
あと、「ふ〜〜なんとか無事だったわ〜〜」と安心しきっていたところをアサシンのように刺しにくるエンドロール、やめれる!?!?!?
★うまいな〜と思ったところ……結局、イッツマイソウルなわけよ
中盤の仕掛けのところで、登場人物4組がそれぞれ、いまは別の組になってる男女とさまざまな関係であったことが明かされるわけですが、そこで出てくる「元カレ」と比べると、クズのように見えてた今一緒にいる人たちも「いいところはあるんだよな〜」と思わせてくるのがすごく上手かったなと思いました。(ただしトミー関連のところは、いやトミーのせいというよりは、どうしようもなくね!?ということが多かったので、その限りでないことも多々)
特に、私は個人的な無理度で言えば慎太郎>>>泰造>>>>怜人(番外・トミー)だったので、途中までは七瀬も(別れたとはいえ鈴ちゃんも)なんでこんなヤツと一緒にいるんだよ!!!良いとこないじゃん!!と思っていたのですが、慎太郎が七瀬のタブレットをいじった後に【きちんとタブレットの向きを七瀬の方に向けて返すシーン】を見てついつい、「あっクズっぽいのにこういうとこしっかりしてんじゃん」トゥンク☺️…になってしまったので、ああこういうとこ、たぶん人によってそれぞれトゥンクポイントは全然違うんだろうけど、それぞれそういうところがあって、だから、クズとかクズじゃないとかいう外部からの評価なんてなにも意味はなくって、あくまで個人と個人の相性なんだろうな〜と。
今もそれほどかわいいってわけじゃなくて優しさっていう感情も薄いけど、「魚の食べ方が綺麗」「スーパーの袋しまっとく」「裁縫が得意」この3ポイントだけで「君のために生きようか」と思ってしまう……というイッツマイソウルみたいな話って、まあ実際本当にあるあるなんだと思うし、恋愛に限らず友人関係とか親子とか、人間同士の相性ってそういうもんなんだろうなと思うんですけど。そのあたりの描き方がとってもとっても上手いなと思った。
あと女子陣が集まって感情をワーーッとぶつけ合って共感しあうところは、ちょっとシスターフッドを感じて良かった。結局はモヤモヤをムスッと飲み込むんじゃなくって、話し合いしか勝たんのよ。というのが信条なので。
★ちょっと気になったところ……トミーのあれこれと、いや、そこまでして「恋人」といなくても…という1/3の感情
ただ気になることもちょくちょくあって、一番は千葉雄大さん演じるトミーの描き方。「別に恋愛的に好きって言ってるわけじゃないのに、相手が勝手に勘違いして困る、、、」みたいなのって、わりとシスヘテ女性がよく困るようなトピックだと日頃から感じていて、それをマイノリティ属性はあるけど男性(明言されてなかったけど、シスゲイ男性なのかな?)が負わされるというのは、なるほどなぁと思ったけれど。
たしかにトミーが「真知子や鈴の好意をわかってて利用した」面は「クズ」と言えるかもしれないけど、真知子が「セックスしたくなっちゃう」と言うことはセクハラでは?と思うし、更に鈴が突然キスするのは完全に性暴力なわけで、彼女たちのその点に対しての反省が全然ないまま話が進んでしまうのはとってもとっても気になりました。
「男でも女でもないし」みたいなセリフも、いや自認が男でも女でもないことはあるだろうけど、彼の場合は自認は男っぽく描かれているような気がしたので、ちょっとその辺のSOGIを混乱しているというか、「同性愛者=男でも女でもない」というのは乱暴な描き方では?と思ったなぁ。あくまで性的指向と性自認は全く別物ですからね。
あと最後、女子陣がみんなでワーッと感情をぶつけあうところはとっても良かったんだけど、結局「謝ろう」みたいな話になって、いや明らかに向こうが悪いと思えるようなシチュエーションでも、女が寛大に許さないといかんのか!?あまつさえ謝らんといかんのか!?!?それは納得いかんが!?!?(鈴ちゃんとトミーを除く)というモヤな気持ちになった。私がクズ耐性がなさすぎるだけかもしれませんが。とくに美和ちゃんなんか、命が関わる病気が判明してそれどころじゃないと思うのに、自分で稼いだお金を元カレに貢いでることを今カレに謝る必要、そんなあります!?!?今カレの金なわけじゃないんでしょ!?
そもそも私が個人的には「そんな""赦し""を施してまで、パートナーと一緒にいて得られる幸せって、ある……??」という、恋愛・非・至上主義的なタイプなのもあって、共感はしかねるところではありました。いや、共感は作品を測るベクトルでは絶対ないし、共感ぜんぜんできなくても好きな作品、モヤっとしない作品はたくさんあるんですけどね。その点は、RTで拝見した原作の方のインスタと、こちらの方のツイートを見てナルホド、と思った。
女子陣だけじゃなくって、男子陣も、男子同士でもパートナー同士でも、ワーーーッと感情をぶつけ合って共有して、自分の抱えている問題に向き合って、その原因になっている弱さや問題点を直視するような展開があるような作品が今後出てきてくれたらいいな〜と思います。何様って感じですけど。それが男子自身への救済にもなるんじゃないかなと思うんだよな〜。「女に許される・救われる」以外で、男子が自分で自分をケアして救済されるストーリーがもっと出てきてほしいな〜と、小さい男の子を育てている身としては、個人的には思う。
★エンドロール、ならびにふうまくんの今後の作品こわい(まんじゅうこわい)
とりあえず「風磨くんのお顔かっこいい」「怜人みたいなタイプはわたしは好きにならんわ、、」を反復横跳びして結局「いや絶対別れた方がええやろ、、」を勝ち取った私でしたが、前述の通り、無事にエンドロールのふうまくん(≠怜人くん)でやられてしまいました。やっぱりわたしは、怜人くん担な訳ではなく、あくまで風磨くん担であることを再確認しました。だからむしろ映画は大丈夫だったけど明後日の男グータンに備えてちょっと心の準備をきちんとしないといけないな……みたいなところあります。
怖いのは、今回みたいに風磨くん≠怜人くんってはっきりわかる感じの作品ではなく、風磨くん……もしかして、(役名)だったの……??みたいな、今回のエンドロールが全編に渡ってみたいな映画とかドラマに今後出られちゃうことです。この怖いはまんじゅうこわいの怖いなので、見たいってことね!!(言わせんなよ//////)
例えば『ラ・ラ・ランド』『花束みたいな恋をした』とか、それこそ『ちょっと思い出しただけ』とか、そういう感じの元カレ元カノ文学がわたしはとってもツボなんですけど……(そして風磨くんもそういう元カレ元カノ文学が好きそうなのがこわい。好きポイントがわかっている役者がやる元カレ元カノ文学ほんとこわい。)
今回のエンドロールみたいな雰囲気の元カレ元カノ文学に俳優・菊池風磨くんが出演しちゃったりしたら、たぶん現実世界に戻ってこられず、心のどこかに風磨くんという元カレを抱えて生きる一生になってしまうので、やるなよ!!!!絶対やるなよ!!!
デビューと夢と永遠とDreamin' Dreamin'
なにわ男子デビューコン、ありがたいことに見に行くことができまして、いま改めて彼らのファーストアルバム『1st Love』を聴きこんでいます。キラキラあり、関西弁あり、フレッシュさあり、TikTok映えあり……。なにわ男子がなにわ男子としてデビューするにあたって作られた最高のアルバム、いわば「ファストなにわ男子」、まずはとりあえず1枚聞けば彼らの濃縮された魅力を味わうことができる名盤だと思います。
アオハル感満載の『月火水木君曜日』、関西ジャニーズ伝統(?)の系譜『妄想っちゅーDiscooooooo!!』、ライブでの一体感が楽しい『ちゅきちゅきハリケーン』、これはもう別枠で思い入れたっぷりの『ダイヤモンドスマイル』などなど。ここに出していない曲も全部全部素敵なのですが、私は『Dreamin' Dreamin'』が大好きすぎて…この気持ちを記録しておきたくなったので、ここに書き残しておきます。
はじめに
私は中高生のころ、世代ど真ん中の嵐ファンをしていましたが、関ジャニ∞も大好きでした*1。CDもDVDも再生しまくる中で、ハマった曲は『DREAMIN' BLOOD』。
関ジャニ∞ DREAMIN' BLOOD 歌詞 - 歌ネット
・ファーストアルバムに入っている
・ジュニアが歌っても不思議じゃない、王道ジャニーズっぽい曲調
・歌詞をよくよく聴くと、「何度生まれ変わっても君とここに立とう」「さあ行こう僕らには 夢を叶えられる力がある」「あの頃をいつも忘れないさ」と、アイドルとしてデビューすることを目の前にして、いままでの下積み時代を振り返るような決意の曲になっている
などなど、デビュー前とデビュー後をつなぐ架け橋のような曲だな、と思っていました。そして、「私はデビュー後しばらくしてから追いかけている身だけど、ジュニア時代から応援していた人はこの曲を聴くとまた違ったリアリティある受け取り方ができるんだろうな~」「その気持ちは私は味わえず、ちょっと悔しいな~」と思いました。
そして約10年後。応援していたジュニアのグループがデビューして、ファーストアルバムのリリースを控え、収録曲が発表されたとき、そこには「Dreamin'」の文字が。聴いてみると、こ、これは例の、デビュー前とデビュー後をつなぐ架け橋のような曲じゃないか……!!
歌詞を細かく語っていくよ
「はじめに」で語ったとおり、私が『Dreamin' Dreamin'』が好きな理由には、「デビュー前とデビュー後をつなぐ曲」である、という点が非常に大きいです。どのようなポイントからそのような感想を持ったのか、順に記しておこうと思います。
↓歌詞全体はこちら↓
なにわ男子 Dreamin' Dreamin' 歌詞&動画視聴 - 歌ネット
・~Aメロ前:「夢」とは何か?
I'm dreamin' ...Can you hear me?... I'm with you...
君と見たいよ
ファーストアルバムでアイドルが語る「夢」とは、何なのでしょうか?そもそも歌は普遍的なものだし、受け取り方は百人いたら百通りあるとは思いますが、私はドリドリという曲の「夢」についてはベタに「デビュー、そしてこれから続くアイドル稼業」のことだと解釈しています。ジュニア時代からずっと「夢」見た場所。そしてこれから続いていく、人にうたかたの「夢」を見させる仕事。だからこそ、歌い出しのソロパートが西畑大吾さんであるという事実を抱きしめたい(しかもハモリはリーダーの大橋くん)。ひとつの時代の関西の赤、関西Jr.のセンターだった彼。グループができてからは「全員がセンターになれる、嵐のようなグループになりたい」と繰り返しながらも、なんやかんや結局背負い続けてきた赤いマント。なにわ男子がデビューしてから、なにわTubeでふざけて壊れるだいちゅんを見るたびに、少し安心した気持ちになります。
・Aメロ:安心感と、ひとさじの自信
待 ったなし夢 を見 ましょう
ここからきっと始 まりの合図 真新 しい世界 は僕 らで出来 てる
「待ったなし」MA-TTANASHI「真新しい」MA-ATARASHIで韻を踏んでいるのも心地よいですが、歌詞の内容もデビュー後という夢の世界へのステップアップを感じさせます。冒頭のちゅんから、デビュー曲『初心LOVE』のセンターであるみっちーに、パートが引き継がれるのもいいよね。ちなみに私は「真新しい世界は僕らで出来てる」という言葉にほんの少し感じる自信のようなニュアンスが好きです。そしてこういうパートを歌う大西流星さん(己の可愛いとそれを裏打ちする努力に対しての絶対の自信を感じる)が大好き。
もう
何 も怖 くないよ
このままずっと君 といられる
どうしたって未来 も恋焦 がれてる
私はデビュー前のジュニア担になったことがこれまでなかったので、関西ジュニアを推し始めた時、いろいろな「ジュニア担の当たり前」に非常にびっくりしたことを覚えています。進退については明言されず、ジャニショの写真がなくなったことで退所を知ること*2。春松竹は卒業の季節、楽日の様子で退所メンバーをなんとなく察するらしいということ。一度グループができたとて、それはずっと一緒であることが約束されている訳ではなく、あくまで流動的なものだということ…。どんなに売れてもあくまでジュニア。明日どうなっているかはわからない。それがデビューによって正真正銘、「もう何も怖くないよ/このままずっと君といられる」ことになるわけです。本当によかったね。ここの長尾さんときょろちゃんのハモリの入れ替わりも素敵です。なお、先ほどのりゅちぇパートもそうですが、高橋恭平さんパートの「どうしたって未来も(なにわ男子に)恋い焦がれてる」も同様に自信に溢れてていい。オタクは自己肯定ギャルが大好き。
・Bメロ:「これから」の話をしよう
見上 げれば果 てない空 終 わらない旅 に出 ませんか?会 いたいと願 えば繋 がる
Where do we go? Movin' up!
「見上げれば果てない空」。そう、彼らはデビューという夢をつかみましたが、あくまでデビュー済のアイドルとしては新人さんな訳で、ここからいろいろな未来が開けている訳です。終わらない旅、どこに行こうか?※ちなみに会いたいと願っても残念ながらチケットがご用意されない場合多数
歌割りの話をすれば、Bメロで満を持して兄組が登場することがまた、ドリドリの良さを引き出しています。そしてあえて「これまで」ではなく「これから」の話をさせるという。彼らは「これまで」の下積みエピソードがメンバー内でも豊富な人たちなのに、あえて。それがいいんだよな~~。
・サビ:「君」とは誰か??
君 と始 まる Dreamin' Dreamin'
Oh my darling解 けない魔法 かけよう
いつでも Stand by you愛 を込 めて (君 を想 うよ)
Won't be lonely ひとりにさせないよ No No No No
ここにいるから君 だけのFlower咲 かせるよ愛 を
さて、サビです。ここで有権者の皆様にまず申し上げたいのは、この……「君」って誰???という話。
一番ストレートな解釈としては、アイドルがデビューという夢について歌っている曲の中で出てくる「君」=「ファン」でしょう。アイドルは、ファンに解けない魔法をかけて、いつでもそばにいてくれる。日常生活でつらいことがあっても、アイドルのコンテンツを見ることで元気が出てくる経験は、ドルオタなら身に覚えがあるでしょう。
ただ同時に、特にサビ後半を聴いていると「君」=ファンから見て「推しのアイドル」でもあるように思います。コンサート会場で自担のメンバーカラーを手元にそっと灯し、彼から見えるかどうかはわからないけど、「ここにあなたのファンがいるよ」という祈るような気持ちになること。その思い、まさに「ひとりにさせないよ」「君だけのFlower 咲かせるよ愛を」だよなあ、と。
そしてまた、「君」=メンバーから見て「グループ内の他のメンバー」とも読めるんじゃないかな。さきほどAメロの長尾くんパートのところで、ジュニア時代の不安定性について言及しましたが、デビューというのは「このメンバーでやっていくことが確約される」ということでもある。「わちゃわちゃ萌え」的なアイドルの推し方をする多くのファンにとって、メンバー同士が離ればなれにならないというのは非常に大きな安心材料なのでは。「ここからずっと君といられる」だし、「君と始まる」「ひとりにさせないよ」とメンバー同士が言い合っていてくれることへの、ホッとする気持ち。
……というわけで、勝手に一粒を3度おいしく味わっちゃうドリドリの「君」解釈でした。
・2番:時空を超えた「ファン」への言及
ドキドキ
止 まらないよ次 のステージ目 の前 にある扉 の向 こう側 何 が待 っている?
まさに「ずっと夢だったデビューを前にしたアイドル/そのファンの気持ち」の箇所だと思うんですが、ここの歌がエンドレスに割り当てられているのがいいよね。グループの中ではしっかり者で、年長で、MCの回しだって完璧にこなす2人だけど、それでも不安と緊張と楽しみとが、ないまぜの気持ちなんだな、と。
転 がったり遠回 り
それでも僕 らは進 むんだ足跡 は君 へ続 いてく
Where do we go? Movin' up!
ここは、1番のBメロと対照的に「デビュー前のこれまで苦労してきた」ことに言及する箇所……でもあるし、もしかしたらデビュー後に待ち受けている、うまくいかない日のことかもしれない。今後の未来の話だとすれば、「足跡は君へ続いてく」の「君」は、ファンはファンでも、「まだ現時点ではファンになっていない、未来のファン」とも受け取れますね。もちろん全編を通じて、アイドルに限らず、全てが全て順調なわけではない日々を送る私たちへの普遍的なエールでもあるのが、すごいところです。
いま
駆 け上 がる Dreamin' Dreamin'
Oh my darling消 えない星座 描 こう
いつでも Remember you同 じ空 で (君 を照 らすよ)
One and only こんなに眩 しいよ No No No No離 れないから それぞれのStarlight ここで重 なるよ
スターダムに駆け上がっていくなにわ男子さんですが、ここで少し気になるのが「いつでもRemember You 同じ空で(君を照らすよ)」の一節です。なんとなく1番のサビよりも時間的・物理的に距離を感じる言い方。もしかしてこの「君」は、Bメロのりゅちぇパートで言及していた「未来のファン」の逆、言うなれば「過去のファン」――これまで応援していた時期があったけど、今はそうではない――を指しているのかもしれないな、と。今は同じ未来を見ていないかもしれないけど、あなたたちの支えがあって今の彼らがある。その事実は「離れないから」、「君を照らすよ」くらいの距離感で輝きが伝わるといいな、と。
これはなにわちゃんの話ではありませんが、通じることがあると思うので、先日セクゾの初ドームが発表されたときの風磨くんのコメントを受けて考えたときのお友達と私のツイートを下記に引用します(れーさん勝手に引用すみません)。
メンバー然り、スタッフ然り、ファン然りずっと一緒ってなかなか難しくて私だってデビュー当初から応援してたわけじゃないし、逆にもうファンじゃなくなった人もたくさんいると思うんだけど、たくさんの人たちの想いが繋がってドームっていう一つの夢を分けあったわけですね、、、、
— れー (@iliwil) 2022年8月15日
RT)「永遠とは未来永劫ずっと手を繋いでいることじゃなくて、ある時期に手を繋いでいたことをずっと忘れないことだ」って言葉がめっちゃすきなんだけど、もしかしたら、手を繋いでいたことを忘れてしまっても、それはそれで永遠なのかもしれないなと思った
— なずな (@nazpipi) 2022年8月15日
サビの最後の「それぞれのStarlight ここで重なるよ」は、3つめの君解釈「君=他のメンバー」として読み取ってもうまく腑に落ちるんですけどね。なにわ男子のメンバーひとりひとりの輝き(『Seven Stars』で言うところの1Star~7Star)が重なって、デビューしても三位一体…いや七位一体でやっていくんだ、という。
・Cメロ~大サビ~コーダ:アイドルに永遠はあるのか問題
★★★
君 がいればこの世界 は色 とりどりの愛 も涙 も巡 る風 に乗 せて
(I'm dreamin' Can you hear me? I'm with you)
★★★夢 の足音 が君 に聞 こえてますか?
いつもいつでも胸 にギュッと抱 きしめて
ここも「君」=「アイドルから、ファン(過去・未来含む)」「ファンから、アイドル」「メンバーから、メンバー」それぞれの解釈でそれぞれ味わうことができますね。
君 と始 まる Dreamin' Dreamin'
Oh my darling解 けない魔法 かけよう
いつでも Stand by you愛 を込 めて (君 を想 うよ)
Won't be lonely ひとりにさせないよ No No No No
ここにいるから君 だけのFlower咲 かせるよ愛 を君 と見 ていたいよ
ところで、サビでは「解けない魔法」(1番)「消えない星座」(2番)という印象的なフレーズが出てきますが、アイドルは「解けない/消えない」、そんな永遠が約束されたものなのでしょうか?確かに、これまで言及してきたように、ジュニア時代よりは身分が保証されているかもしれません。それでもアイドルに永遠が無いってことを、いろいろな活動休止・脱退・解散を目にしてきた私たちは、十分すぎるほど知ってしまっています。それでも今だけは、この瞬間の幸せが永遠に続くことを純粋に信じるふりをしていたい。アイドルというエンターテインメントって、アイドルとファンが、「この世には永遠が存在する」という夢を、一緒に信じるふりをすること、この共犯関係のことなのでは?と思います。そんな夢…嘘と言ってもいいかもしれない…を、「君と見ていたい」そう思うことを、愛と呼びたいのです。
解 けない I'm dreamin'願 う You're dreamin'光 れ We're dreamin'夢 が今始 まるよ ずっと!
解けない魔法、アイドルという夢を、私が/あなたが/私たちが一緒に見ているということ。夢って本来、いつか醒めるもの、はかないものですが、それをはっきり「ずっと!」と宣言してくれること、潔いほどのアイドルという欺瞞。ファーストアルバム『1st Love』、Tr1はOverture、Tr2はデビューシングルな訳で、実質この『Dreamin' Dreamin'』がファンが初めて聴くなにわ男子のアルバム曲になるわけですが、そんな楽曲の最後のフレーズが「夢が今始まるよ ずっと!」であること。この事実だけで、なにわ男子、いいグループになったなあ、本当にデビューしたんだなあ、そしてこれからもずっと一緒に夢を見させてもらいたいなあ、そんなことを思いながら後方彼氏面をしてしまうわけです。
ゆめ【夢】
読み方:ゆめ
《「いめ」の音変化》
1 睡眠中に、あたかも現実の経験であるかのように感じる一連の観念や心像。視覚像として現れることが多いが、聴覚・味覚・触覚・運動感覚を伴うこともある。「怖い—を見る」「正(まさ)—」
2 将来実現させたいと思っている事柄。「政治家になるのが—だ」「少年のころの—がかなう」
3 現実からはなれた空想や楽しい考え。「成功すれば億万長者も—ではない」「—多い少女」
5 はかないこと。たよりにならないこと。「—の世の中」「人生は—だ」→夢に →夢にも
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%A4%A2_%28%E3%82%86%E3%82%81%29/
まとめ
というわけで、私の中の『Dreamin' Dreamin'』の解釈としては……。デビューという夢をかなえて、今度はデビュー済のアイドルとして、ファン/推し/メンバーである君と、「永遠にこの楽しい時間が続く」という夢を見ていたいよ!!という、双方向型のラブ&決意&共犯者宣言ソングだと思っています。ほぼほぼRIDE ON TIME(あちらは双方向性はあまりないですけど)。
それでは聴いてください、チグハグ …じゃなくて、CDお持ちの方はCDから、お持ちで無い方は下記リンクから視聴が少しだけ聴けますので、ぜひぜひこれを機に(?)名盤を手にしちゃってください。
本当は『Dream Catcher』『なにわLucky Boy!』『Dreamin' Dreamin'』の歌詞を比べながら、グループ結成前・デビューを意識するグループの結成後・デビュー後、を比較して味わい尽くしたいところだったんですけど、ちょっとした卒論か!?って感じの文字数になってきたので、ひとまずそれは次回に回したいと思います。それでは!!
なにわ男子、結成4周年、おめでとう!!
ウエストサイドストーリー(スピルバーグ版)みたよ America中心の感想
作品自体ではないところで見るか躊躇してたけど、ウエストサイドストーリー、結局今日見てきた!!"America"が歌も演出もとっっっても良くて、実写アラジンの「アリ王子のお通り」以来ミュージカルで震えた、あれが大画面かつ高音質で見られたのは映画館に行って良かったな〜と思う
— なずな (@nazpipi) 2022年2月13日
特にアリアナ・デボーズのアニータがちょーーーよかった!!話も旧作に比べてわかりやすくなっていたように思う。まあ……作品自体が良くとも、なんかもうちょい……もうちょい……いろんな対応を……というのが帳消しになるわけではないが……
— なずな (@nazpipi) 2022年2月13日
ツイートもしたんだけどとにかくAmericaが良くてですね、舞台が旧作の夜の倉庫??溜まり場??から真昼の街中になったので、華やかな色が本当に綺麗で映える!!ララランドの「Another day of sun」とか実写版アラジンの「アリ王子のお通り」みたいにとにかくビジュアルインパクトが強くて!感想というより、脳直でビシビシ快感が来る感じなんですけど。ジャニオタなので群舞が大好き……
あとは街中になったこと、曲の始まりが女たちが洗濯物を取り込むシーンから始まることも良かった。60年代舞台だからまあそうなんでしょうけど、アニータだって服飾の仕事があるのに、家事はやっぱり女がやらされるんかい!という。結局きっとプエルトリコの女たちは母国でもアメリカに来てもそういう家事は押し付けられていて(旧作よりベルナルドがよりマッチョな思想であることは強調されてると思った。子供6人って軽々しく言うけど誰が身体的負担被ると思ってるんすか)、彼女たちにとって母国に帰ったところで今と変わらず家事は押し付けられる人生が待っており、それだったら建前だけでも「自由の国」であるマンハッタンのが居心地がいいだろうな、とか。
そしてAmericaが良ければ良いほど……アニータがどれほどアメリカ、マンハッタンでの暮らしを愛してたかがわかるほど、後半のドクの店のシーンは本当に辛いシーンなわけですが…、アニータがアメリカ人じゃなくプエルトリコ人と自分のことを称する時に辛すぎて、ホント……ホントさぁ……と思ってしまいましたが……物語上必要なシーンではあるわけで。旧作だとなんか彼らの罪がなぁなぁのまま最後の展開に行ってしまうわけだけど、エニバディズの一言や、ジェッツの女の子たちとヴァレンティーナの反応でしっかり断罪していることが、アップデートされているなと思いました。初めて旧作を見た時にあのシーンで「America」の変奏曲っぽいBGMがかかるところがホントしんどすぎてトラウマになりそうだったのですが、そこは変わってて。たしかにトラウマ植え付けるくらい効果的ではあるものの、変にエンタメに組み込まずに暴力性だけを描くというスタンスは、良かったな〜と。
だからこそ!だからこそだよ!!作品自体にはそういうモヤ……は感じなかったからこそ、アンセル・エルゴートの件はもーちょい…もーちょいなんか対応方法があっただろうに……とは思った……